世間遺産SEKEN ISAN

世間遺産とは

世界遺産は知っていても、世間遺産はまだまだ馴染みがありませんね。これは、私たちの身近な場所にあって残したいもの、その地域にしかない希少なもの、子どもたちに残しておきたいと思える貴重なものなど、身の回りにひっそりと眠っている遺産なのです。
今は当たり前のように見ている風景や人の息づかい、その価値は将来大きな意味を持ってくるかもしれません。ここでは心の中に留めてほしい、人に伝えたくなる、そんなさまざまな風物が選ばれています。
常滑のあちこちに点在する世間遺産を、ぜひこの機会に知ってください。

※現在観光可能な場所のみ地図に掲載しています。

  • 前山地区八百姫神社

    椿の木と共に生き続ける、前山の八百姫ものがたり
    昔、前山に大変親孝行でよく働く娘さんがいて、いつまでも娘の若さと美貌がおとろえることがなく800年も生きたという八百姫伝説があります。800年目の誕生日に、諏訪神社の境内に娘さんは穴を掘り穴の入口に椿の木を植えました。そして「私はおいとまします。私がこの穴に入ったらどうぞ土をかぶせてください。椿の木が生きてくれましょう。この木が生きている間は私もこの穴の中で生きているのです。」と言って村人に別れを告げたそうです。その椿の木は今も諏訪神社の境内にある八百姫神社の小さな祠をおおって緑の木陰をつくっています。
    おすすめ時期:4月祭礼時
    駐車場あり(10台程度)
    ※駐車場までのアクセス路が狭く、要注意

  • 蒲池地区鬼崎沖ののりあみと、収穫風景

    海苔の収穫風景は、蒲池地区ならではの冬の風物詩
    鬼崎海苔は味の良いことでその名を全国的に知られており、その収穫風景は蒲池区を中心とした鬼崎地区の冬の風物詩となっています。朝日を浴びて海苔網の下をくぐる収穫船、夕日に映える整然と並ぶ支柱、海苔の種付け時の水車等、どの光景も多くの人にとって魅力あるものです。「海苔」という海からの素晴らしい贈り物に感謝し、これからもずっと大切にしていきます。
    おすすめ時期:海苔の収穫時期(11月頃~)
    駐車場あり 季節限定
    ※収穫時間等について確認必要

  • 榎戸地区経石塔(海・松並木)

    防風林として植えられた美しい松並木、堤防を守り続ける経石塔
    榎戸区の松並木は3ヶ所残っていて、榎戸墓地、海岸、経石塔付近と鬼崎中学校西側の松並木、それから井口川バイパスに昔から防風林として植えられ、今も約1,100本ほど残っています。また、海に面した護岸堤防の内側には、江戸中期に植えられたという黒松の防風林が有り、一段高い所に経石塔が二基建っています。江戸時代に鬼ヶ崎新田といって、海岸を干拓したが新田は海面より低いため、堤防は何度も暴風雨で破壊され、その度、新田は大きな被害を受けてきたと伝えられてきました。経石塔は昭和46年、防風林の保存されている現在地に移転し、市の文化財に指定されています。

  • 多屋地区多屋海岸

    四季折々、風光明媚な多屋海岸
    多屋海岸は知多半島で一番多くの砂浜を持ち、砂浜は800mにおよびます。また、防風、防砂のための松並木も残っており、“白砂青松、多屋海岸”の風景が楽しめます。昔は海水浴場として多くの人が訪れ、別荘も多くあり、夏の保養所になっていました。その一角に“海泉旅館”があった事から、別名“海泉”と呼ばれています。今は、砂浜に真っ白な貝殻が集まり、青い空と海とのコントラスト、夕日が沈むありさまは絶景です。夏にはハマボウフウの白い花、ハマヒルガオのピンクの花が咲き乱れ冬には対岸に白化粧した鈴鹿山脈と、四季に渡り風光明媚な海岸です。時には、セントレアを発着する飛行機、列をなす渡り鳥、名古屋港に入港する豪華客船が色をそえます。毎日、ジョギングや散歩、釣りと近隣の人に親しまれています。

  • 市場地区柴船権現まつり

    400年もの歴史をもつ柴船権現
    区内の一画、イシハラフードの隣に小さなほこらがあり、柴船権現神社といいます。祭神は徳川家康公。天正10年(1582年)の有名な本能寺の変の際、少人数の部下と泉州堺にいた家康公は、すみやかに岡崎へ帰るため、危険な伊賀山中を越え、白子の浜から柴船に乗って伊勢湾を渡り、常滑の地に上陸、陸路で半田を経て無事三河の地に帰ることが出来たのです。その後の歴史は家康公の天下取りから江戸時代へと続いていきます。常滑の地では幕府の許可を得て家康公(東照大権現)をまつるほこらを建て、当時家康公を助けた子孫の衣川家が約300年間守ってきました。大正時代に市場字の管理になり現在に至ります。地元では「ごんげんさま」と呼ばれて親しまれてきました。由来のはっきりしているまつりであり先祖が守ってきたこの柴船権現は、地元のほこりです。

  • 大谷地区高砂山

    空港を見下ろせる、自然豊かな憩いの場
    古くから区民に親しまれてきた常滑一番の高さを誇る高砂山。かつては昼でも暗い山道を登り詰めたところが山頂で、鳥居、石碑等を中心とした主に民間信仰の山で、周辺には古窯群もあったようです。しかし数十年前から区民有志により「高砂山を愛する会」が発足し、参道を整備しなおし、頂上付近の下草を刈り樹木を植え、剪定し、展望台を整備、定期的に清掃をする等して区民をはじめ広くその存在をお知らせしてきました(元旦の初日の出を見る会では、ぜんざいや甘酒がふるまわれ沢山の区民が訪れ親しまれている)。大谷区としても初夏の区民ふれあいウォーキングでは、高砂山をそのコースに組み込みゲーム大会が行われるなどその魅力のアピールに努めてきました。現在では周りが開けた事も相まって、車でのアクセスも容易となり、展望台からはセントレアが一望できるなど益々我が大谷の「ランドマーク」としての真価を発揮しています。
    駐車場あり

  • 小鈴谷地区鈴渓義塾

    「受けた恩返しは、次代のためにせよ」
    鈴渓義塾は、明治21年に盛田家11代久左衛門(命祺)が私財を投じ、小鈴谷村に設立され、明治40年までの19年間に約350名の塾生が巣立ちました。塾長であり、生涯をこの鈴渓義塾と共にした溝口幹氏の教えは、子供たちの得意な分野を伸ばし「受けた恩返しは、次代のためにせよ!」と説く教育方針を貫き、その教え子には敷島パン創業者・盛田善平氏、標準語の父・石黒魯平氏、トヨタ自動車中興の祖石田退三氏、名古屋帝国大学の設立に尽力した文部事務次官・伊東延吉氏、戦艦大和艦長・森下信衛氏、さらには盛田家15代目当主がソニーの創業者・盛田昭夫氏、など各界で活躍した人物の他、幹氏に憧れて教師となり校長を務めたものも少なくありません。
    ※見学には事前予約が必要

  • 矢田地区虫送り

    暗闇に浮かぶ、松明の行列
    虫送りはいつごろ始まったかは定かではありませんが、昔、斉藤実盛の乗る馬が田んぼの稲かぶにつまずいたところを敵軍に討たれ、「うんか」となって稲を食い荒らしたため「豊作祈願」で松明を作り、火に集まる害虫を集めて焼き払うために行われるようになりました。毎年、6月下旬に年長者の指導を得て、参加者が各々長さ約3~4m、直径約20~50cm位の松明を、竹を芯に麦わら・ススキなどを筒状に巻いて作ります。7月上旬には、八幡神社で神事を執り行い、神火で松明に火を付け、島田橋から矢田川沿いに約1kmを200名ほどで練り歩きます。暗闇に浮かぶ松明の行列を見に、ぜひ一度お越しください。

  • 久米地区三和っ子ランド

    三和っ子ランドで自然と共に成長
    三和っ子ランドは、昭和48年の新校舎移設に併せ、PTAが中心となり昭和53年に完成した里山の地形を生かした遊び場です。完成当初は、各種アスレチック遊具や巡回コースが整備され、自然とのふれ合いや体力つくりを目的とした施設として、大いにその役割を担いました。40年の時を経て、三和っ子ランドの姿も変わってきましたが、誰もが安全に利用できるように、現在はPTAや「おやじの会」を中心に維持管理に努めています。これほど広い自然林を生かした施設は比類なきもので、地区として自慢できるものです。また、これまでの歴史から、親子2代に渡り、学びや体力つくりの場として活用されている施設です。今後も、三和っ子の心に思い出とともに残り続ける遺産としたいです。
    観光不可

  • 石瀬地区青海中学校卒業生誓いの言葉

    卒業生の、誓いの言葉
    青海中学校卒業生「誓詞 ~ 誓いの言葉」を書き記すこと。第一回(昭和34年)卒業生から第57回(平成27年)卒業生まで、57年間続いている青海中学校の伝統的な行事です。卒業を前にした3年生が校長室で、将来の夢や自分の決意、座右の銘などを一人ずつ筆で書き記したものです。今までに8,589名の誓詞が蓄積されており、この伝統行事は愛知県下でも珍しいものです。今も同年会やクラス会開催時にこの誓詞を見て担当の先生と共に、当時の学園生活の思い出を語り合い、旧交を温め合うものとして大切に保管されています。
    観光不可

  • 宮山地区城山公園

    山の上にそびえ立つ、城山公園
    古くは青海山と呼ばれた青海町の一角に、大野谷を4代にわたり治めたと言われている佐治家の居城跡があり、付近一帯は「城山公園」として整備されています。公園内には佐治神社の他、城型の展望台が聳えていて、区民からは「佐治さん」の愛称で親しまれ、春は桜、秋は紅葉を楽しませてくれます。さらに、展望台やその周辺からの伊勢湾及び鈴鹿山脈の山並みの景観はとても素晴らしく、訪れた人の心を癒します。歴史もあり、区民から親しまれる「城山公園」こそ宮山区の世間遺産です。
    駐車場あり

  • 小倉地区常滑市の表玄関、出入り口にあたる「小倉町」

    常滑の北玄関「小倉町」
    常滑の北玄関「小倉町」矢田川・前山川に囲まれた大野谷の中心地に大看板を設置するよう提案しましたが国道上に造るのは難しいようです。居住地域のほとんどが海抜0メートル地帯です。「勅使橋」「上皇橋」というすばらしい名前の付いた2橋があり、いずれも花園天皇とその勅願所である蓮台寺に纏わる橋といわれています。また、条里制跡(奈良時代に大和朝廷の律令制が整ってから、班田収受を合理的に行うために造られたもの)や製塩遺跡(狐塚)の存在が確認されています。大野谷の周辺には貝塚も確認されており、大和時代からここが開けた地域だったことを彷彿させてくれます。

  • 大野北地区大野海水浴場

    楽しみ方は、十人十色
    中世より江戸時代にかけて潮湯治としてにぎわった歴史のある世界最古の海水浴場と伝えられています。南知多県立自然公園の指定区域にあり、瑠璃が浜の名がつく砂浜には、海ガメが産卵に来たことも。海苔そだが広がる穏やかな伊勢湾の沖には大小の様々な船が往来し、セントレアが開港してからは低空での美しいシルエットの飛行機の姿を追うこともできます。眩しく夕日に染まる空と海とのコントラストは、とても美しく素敵です。四季を通して釣り人は絶えず、夏になると海開きとともに多くの海水浴客が訪れて、往時のにぎわいを彷彿とさせます。
    駐車場あり

  • 大野南地区四観音参り

    4つの寺を参ると子供の病除けに
    《観音さまとは「観世音菩薩」と称します。『菩薩』とは「真理を求めて修行する人」という意味で、本来ならば真理を悟った人である『如来』の位に上がる事が出来る仏さまでありながら、衆生を救済する為に下りてこられた仏さまです。世の衆生の音声を観ずる仏さま「観世音」として古くより広く庶民に信仰されてきました。「観音経」には「もし無量百千万億(人)の衆生あって諸々の苦悩を受ける事あらば一心に観世音菩薩の名を念じれば即座にその音声を観て皆解脱(悟り)を得せしむ」とあります。このように広大無辺な慈悲を具現してくださる仏さまであり、古来より現代に至るまで最も私たちに身近な仏さまとして信仰を集めています。》遠州三十三観音霊場めぐりより。
    駐車場あり

  • 西之口地区北汐見坂から眺める景色

    最高の夕日を眺められる
    北汐見坂から眺める景色の一番は、夕陽の美しさがとても綺麗で色合いや形状が毎回違って見えます。それと同時に、海と、空の風景も一望でき大きなタンカーの往来や、セントレアからの飛行機も近くに見えて、どこに飛んで行くのだろうと考えてしまいます。北汐見坂は分譲が始まって10年ほど経っています。区民の皆さんには愛着を持って自慢できる景色であろうと想像します。今後もずっと空気がきれいでこの景観が見える事が望まれます。それと同時に子供たちにも教育の中に、世間遺産は何ですか?を教えて頂けたら地元愛も生まれるのではないかと思います。
    ※風景のため、駐車場なし

  • 北条地区一木橋からの景色・土管坂

    心癒される、古き良き町並み
    何だろう、この懐かしさは。どうしてだろう、心が癒されるのは。私たち日本人なら誰もが持っている原風景。やきもの散歩道には長い歴史の中で培ってきた豊かな文化の香りが今も残されています。常滑焼と共に歩んできた北条の地に根づく風習・自然・建築物・芸術・工芸などをひとつひとつたどっていくと、先人が長年かけてどのように深い文化を築いてきたかをひしひしと感じることができます。私たちは心のふるさと、やきもの散歩道を見つめながら、未来へつないでまいります。
    駐車場あり
    ※陶磁器会館に駐車可

  • 瀬木地区世楽車(祭礼の山車)

    山車を通して受け継がれる歴史、人々の想い
    旧常滑で最初に山車を所有したと言われるのが瀬木区です。現車は大正3年に購入したもので、以降、数々の改修を受け現在に至ります。代表彫刻は、初代彫常氏による脇障子と堂山蟇股の太閤記で、類稀な作品となっています。また瀬木は水の少ない土地柄だったため、山車の装飾には、波、水車、雨を司る飛龍、雲に龍といった彫刻が多く施されています。堂山高欄廻りの黒龍は黒柿が用いられ、他に類を見ないもの。前壇のからくりは前期唐子麾振り人形で、瀬木のおでくさんと呼ばれ区民に親しまれています。おでくさんの持つ采は伊勢神宮の御木曳きを基に、カンナで木を削り、紙状として作られる珍しいもの。平成17年には常滑市有形民族文化財の指定を受けています。
    おすすめ時期:4月祭礼時
    ※祭礼時以外は、山車の公開はありません

  • 奥条地区常石神社の森と桜並木

    来る人を魅了する、桜のトンネル
    常石神社の森は知多半島の中でも原始の手付かずの森となっており貴重な存在です。陶の森の小径を散策すれば縄文時代はかくあらんと想像をふくらますこともできます。南の県道半田常滑線から神社登口に至る間は大正四年の天皇即位の御大典を記念して100m以上の間を田の上に土手を築き左右に55本の桜の木を植えたもので、今では桜のトンネルとなり常滑市の桜の名所でもあり、その美しい光景は、見学に来た人たちに感動を与えます。春の祭礼には屋台も並び大いに賑いを見ることができます。
    おすすめ時期:3月下旬~4月中旬

  • 山方地区山車まつり

    人を繋げる、山方の山車まつり
    平成27年に建造100周年を迎えた『常山車』は、日露戦争勝利の凱旋祭りに作った花車が起源とされています。現在の山車はその10年後の大正4年に阿久比在住の宮大工岡戸峰次郎により建造されました。山車を飾る彫りも見事で彫常作とされています。また、前壇で舞う巫女は6代目玉屋庄兵衛作で、お神楽の演奏に合わせ優雅に舞います。『常山車』は区民有志で結成された山車保存会により維持管理され、毎年春の祭礼に合わせ組立、祭礼後に解体をして山車蔵に保管されています。
    おすすめ時期:4月祭礼時
    ※祭礼時以外は、山車の公開はありません

  • 保示地区保楽車

    からくり人形「桃太郎」
    保楽車は、1905年花車(簡単な山車)を造ったことに始まり、最初の車は露天式で上山は無く旭日の飾りが載せられていました。その後1924年宮大工岡戸峰次郎によって建造され、1992年に胴山・斗組・高欄を改修され現在に至っています。壇箱の彫り物は、浦島太郎が玉手箱を手に持ち亀の背に乗って龍宮城から帰る情景が彫られ、蹴込みに七福人がのった宝船が彫られています。からくりは、子供から年寄りまで親しまれている日本のおとぎ話「桃太郎」。初代「桃太郎」は1924年6代目玉屋庄兵衛作で現在の「桃太郎」は2代目。前壇に据え置かれた大桃が2つに割れ、甲冑姿の桃太郎が現れ采配と軍扇を振る姿は勇ましく人気が高い。神楽囃子が終わると桃が閉り、また開くのが待ち遠しい。
    おすすめ時期:4月祭礼時
    ※祭礼時以外は、山車の公開はありません

  • 樽水地区本宮山(本宮神社)

    昔から守り続けた、大切な場所
    集落の東側の地、泉町地内に市有地「山の神グランド」があり、その入り口の角に3mの立派な石碑があります。『本宮山』の社標で裏に“是ヨリ東へ二十二丁”と書かれています。二十二丁とは、約2.4kmの距離。昭和9年の初め建立されたものです。里からこの距離は、小学生の遠足、体育のマラソン大会には昔も今も好条件。さらに大昔には『山』から眺める風景は、「尾張の高野山」と言われ西阿野高讃寺から樽水のこの『山』の下近く、建立されていた七堂伽藍三百坊お堂の壮観さ。現在、眺める風景は言うまでもなく「セントレア」です。他に航空灯台の存在や、昨年施空灯台の存在や、昨年施工された里山整備事業などで魅力一杯の景勝地『本宮山』です。
    駐車場あり

  • 西阿野地区七社社

    七つの社がある神社
    創建は明らかではありませんが、棟札に寛永7年(1630年)「大明神氏子中子孫如意安全守処」とあり、口伝でも古代人家七戸の時、一戸一社宛の神々を崇敬したのが始まりと言われています。尾張志には七社明神社とあり、明治5年村社に列格し、同40年10月26日に指定社となっています。本殿拝殿と社務所は建替えられ、平成3年12月に奉祝遷座祭が行われました。毎年4月の例祭には小学生の可愛い巫女による「浦安の舞」の奉納と初老厄年会による餅投げ、年始の初詣には、ぜんざいや甘酒などの振舞いが行なわれ区民が多数参拝に訪れます。

  • 熊野地区熊野神社

    心の拠り所としてあり続ける、熊野神社
    現在の熊野町に鎮座される熊野神社は、かつては二キロほど南の大谷村の東、高砂山に鎮座され、その後室町中期に枳豆志十六ヵ村が東西両郷に分れた際に、現在の地に鎮座したとされています。お社の奥には”竜神の面”と云われる古神面が納められており、その昔は雨乞いの神事に用いられたとの記録がありますが、今はその役目も終えて静かに安奉され、”竜神の面”の云われは“あいちの昔話”として伝えられています。今でこそ、境内に多くの人・子供達が集う姿も久しくなってしまいましたが、この地域に暮らす人々の心には多くの思い出が詰まった場所であり、これからも地域を見守り、そして心のより所として受け継がれていく場所です。
    駐車場あり
    ※駐車場までのアクセス路が狭く、要注意

  • 古場地区墓地の提灯行列、安養寺でいただくお経

    幻想的な提灯行列
    古場区のお墓参りは、古くからの風習でお盆の8月14日に家族・親戚が一同に提灯に灯りを灯し、提灯行列で大勢の人がお墓に集まります。その時、お墓全体が提灯で埋め尽くされ幻想的な光景に包まれます。提灯の意味は、一年に一度、先祖が買い物に出かける時、道に迷わないように提灯の灯りで道案内をする為と言い伝えられています。午後6時に安養寺の住職によるお経が始まると全員が合掌し、先祖に感謝を唱えます。住職が約30分くらい掛けてお経を唱えながら全てのお墓を回り歩き終了となります。区民が一つになり、今後も昔からの伝統を大切に守り継いで行く為に世間遺産に登録しました。
  • 苅屋地区多賀神社

    青い蝶が飛来する、パワースポット多賀神社
    今からおよそ410年まえ「ホウゲンボウ」という滋賀の多賀大社の関係者が多賀大社火災の時、御神体を持ち出し、この苅屋の社に祀って欲しいと依頼されたのが始まりと伝えられています。厄除と長寿の神様として知られる多賀神社の境内には、県指定天然記念物のおがたまの木が大小60本以上群生しており、日本では最北端と言われております。また初夏には、このおがたまの木を食樹するミカドアゲハの飛来が見られ、遠くからも蝶の愛好家の方が訪れています。また青い蝶は希少な色の蝶として、その姿を見るだけで幸運になると言われています。春の多賀神社大祭では地元苅屋区の子供達がお囃子を、小学5・6年生の女子が巫女の舞を奉納し、伝統芸能を継承しています。
    駐車場あり

  • 桧原地区瑞泉寺

    五穀豊穣と無病息災を記念して
    瑞泉寺は慶長7年(1602年)に観音堂より起こったとされ、本尊は薬師如来をまつり、古くから五穀豊穣と無病息災を祈念されています。平成元年には鐘楼堂(鐘つき堂)ができ、以来、年末には除夜の鐘をつきに区民が多く参拝に訪れ、最近では市内外からも多くの人が訪れています。平成9年には本堂も新しくなり、毎月8日にはお薬師講が行なわれ、区民が順番に当番となり、供物をそなえ供養しています。古老の話によると、昔お薬師講を一時中断したら村に病気が流行し不幸が続いたため、再び講をはじめたところ忽ち霊験があらわれて不幸がおさまったといいます。もちろんその後は間断なく続いています。
    駐車場あり

  • 広目地区毘沙門さん

    地域の人から愛され続ける「毘沙門さん」
    広目寺に祀られている毘沙門天のことを、地元の人や信者は親しみを込めて「毘沙門さん」と呼んでいます。毘沙門天は財宝と仏法を護り、人々の災いを除き無量の福徳を授けるとされ、古くより信仰されてきました。ここでは天井画が描かれた毘沙門堂でお祀りされ、毎年2月に行われる毘沙門天大祭では、「転読大般若」と呼ばれるご祈祷を受けるために多くの人で賑わいます。毘沙門堂の前には、一対の阿吽の「狛寅」が鎮座しています。これは毘沙門天が寅年・寅の日・寅の刻にお姿を現したとされることが由縁となっています。また境内には、毘沙門天の開眼供養といわれのある、檜を宿した不思議な椿が植えられています。

  • 坂井地区坂井の山車まつり

    郷土愛を醸成。坂井の山車まつり
    山車曳き廻しによる坂井のまつりは、地元に残る記録には、「宝暦5年(1755年)津島神社天皇祭礼が8月に行われていた」と記されていて、現在まで250年余続いている。「松尾車」と名付けられた山車の上山では、演目「軍術誉白旗鬼一法眼館段」の浄瑠璃に合わせて、糸からくり人形が演じられ、伝承されています。山車は「常滑市有形民俗文化財」に、糸からくり人形は「常滑市無形民俗文化財」にそれぞれ指定されていて、地元の誇りとなっています。まつりの運営は、今なお生き続ける若衆組織によって行われ、郷土愛を醸成する基盤ともなっています。また、区にとってまつりは唯一無二の行事であり、区民の連携を深める基です。
    おすすめ時期:3月祭礼時
    ※祭礼時以外は、山車の公開はありません

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